ペンションという媒介が中間に存在しているからである。ペンション派住宅の原型は西洋のオウチであるが、ペンション派の人々にとっては、その原型のオウチよりもペンションのスタイルの方がはるかに馴じみが深い。そして清里を訪れれば誰もがたちまち了解するように、ペンションの建築自体が断片的で、かつそこにおいてオリジナルの様式が持っていたシンタックスは完全に欠損している。清里に慣れ親んだ彼女ら(ペンション派)の感性が、ペンション派住宅の断片的なコピーの原因であるということは、充分に想像できる。
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ただし、それでも問題は残る。そもそも清里のペンション群自体は、どうしてあのように断片的であるのか。あるいは彼女ら(ペンション派)が選ぶ住宅建設のプロセス自体が、断片的コピーの原因であるとも考えられる。ペンション派の住宅は、多くの場合、町の大工によって建設される。プロの設計者が、施主と大工の間に入ることはまずない。彼女ら(ペンション派)は、プロの設計者(建築家)の美的基準が、自分達の美的基準と対立することを察知している。また、工業化住宅のラインアップの中のオウチ型モデルが選ばれることもない。なぜなら彼女らが家に抱いているロマンは、既製の展示場住宅が描く画一的なロマンを、はるかに凌駕しているからである。展示場住宅の、どんな巧妙なオウチの模倣を見ても、「どこか違う」「自分が頭に描いている家とはどこか違う」と彼女らは思ってしまう。結果として、彼女らは最も困難な道を進むことになる。すなわち、彼女達と町の大工という、水と油ほどに異質な二者が困難と誤解に満ちた共同作業を開始するのである。